2023/12/03 12:10


1998年、バリ島の芸術村ウブドに滞在してアメリカ人画家のSYMON氏のもとで私は絵を学ぶことになりました。

ウブドではロスメン(民宿)に宿泊していました。バリ島の家は敷地の真ん中に中庭があり、ガムランや、踊り、お祭り事をする舞台があります。
夜はそこに遅くまで男達が集まってお酒を飲みながら楽しそうにチェスをしていたのを覚えています。

バリ島の朝は早くて、鶏が鳴いて5時頃からがやがやと声がし始めます。子供達は学校に6時頃から行き、暑くなるまでには下校するスタイル。

私はいつも8時頃起きてシャワーを浴びるとテラスにでました。
するとロスメンのお母さんが何処からともなく現れて、たっぷりコーヒーの入ったポットを持ってきます。
このバリ珈琲、日本で飲むと粉っぽくて味気ないのですが、バリ島で飲むと何故かとても美味しいのです。

朝食は定番のジャッフル。これはバターを塗ったトーストにバナナを挟んだホットサンドです。
バターの風味と甘いバナナのジャッフルそして熱いバリ珈琲。南国の草木の運ぶ風に漂うお香の香り。毎朝の楽しみの一つでした。

「今日は何をしよう?!」
私は旅ではあまり予定をたてないで、その日の気分で動くのが好きです。

午前中、外に出ると村の通りにはたくさんの人々がいます。

腰にサロンをまとった女の人達は野菜や果物、お供え物の花やお菓子の入った籠を器用に頭にのせて歩いてお寺に入っていきます。

男の人はお店を開けたり、昼にお店で出す豚をまるごと何人かで担いだり、煙草を吸いながら話していたり、まるで時代劇に出てくる江戸の町のようなのです。

私はSYMON氏のスタジオに行く途中に、ぶらぶらとそこを歩いて行きました。

すると、その辺りに腰掛けているお兄さんや、おじさんが「じゃらんじゃらん?」と話しかけてきます。
「じゃらんじゃらん」というのはぶらぶら散歩すること。
バリ人のナンパはだいたい「じゃらんじゃらんしようよ!」「クナンクナン見に行こう」の2つでした。
ちなみにクナンクナンは蛍のこと。

私はお土産物屋さんを見たり、カセットテープ屋さんで面白い曲を探したり、バリの染め布バティックを買ったり、寄り道をしながらスタジオへ向かいました。

バリ島の午後は暑くなるので、お昼前にキャンバスを作ったり、絵を描いたりしていました。キャンバスづくりも、絵を学ぶ仲間のアンドリューに教えてもらいました。

私は木工が下手なので、アトリエで働くバリ人スタッフにほとんど手伝ってもらって作っていました。
彼らはとても器用で繊細な仕事をします。

お昼はスタジオのお手伝いさんのニョマンさんが作る美味しいバリ島のご飯。

みんなそれぞれ好きなところで食べて、私とアンドリュー以外は犬のパーシャも含めてすぐ寝ます。

スペインでもシェスタがありましたが、
みんなお昼を食べたら、目がトロンとして「おやすみ」と言って寝ていました。習慣ってすごい!

そして街も静かになります。


午後は乗り合いのバスに乗って絵の具を買いにいったり、オーストラリアから移住しているアーティストを訪ねたりしました

この乗り合いバスは中型のバンで、ルートだけ決まっていて、乗るときは手を上げて乗り、「ストップ、ストップ!」と言うと何処でも止まってくれます。

朝の時間帯は混むので、屋根に荷物を縄で簡単にくくりつけて山のように積み、片足だけ乗ってるような人もいるぐらい人もたくさん載せます。

これだけでも絵になりそうな光景!


夕方はロスメンに戻ってシャワーを浴びた後に、日本から旅しに来た方や、絵の仲間と夕食を食べに行ったりしました。
ちょっと良いレストランでも当時は1000円程で素敵なテーブルで夕食を楽しめました。サテという、日本でいう焼き鳥にピーナツソースをからめて食べる料理が私は好きです。

夜はまたスタジオに行って、絵の仲間のアンドリューとラジカセに新しく買ったカセットテープを聞きながら、絵の事、音楽の事、お互いの友達の事を話して過ごしました。

一日の最後、帰り道はちょっと恐怖なのです。
夜になると、昼間生きているのかわからないぐらいぺちゃんこになって横たわっていた野良犬達がものすごく元気になり、
自転車で走る私達を吠えながら追いかけて来るのです。
彼らのテリトリーを過ぎると追っては来ないのですが、ホントに恐怖でした。

こんな毎日の中で私はSYMON氏から自由に絵を学んで、作品を作っていました。