2023/12/08 11:57

初個展を開いたあと、2ヶ月後に私は壁画家になっていました。


実家のとなり駅、小金井で
「外国人ゲストハウスのマネージャー求む!」
という募集がありました。

外国人ゲストハウスかー、英語も使えて自分の時間で働いて絵も描けそう。なんだか楽しそうだし、面接行ってみようかな!
という事で、応募しました。
外国人ゲストハウス社長さんはとても気さくな方でした。

その面接では、「普段は何してるの?」という感じで聞かれたので「絵描いてます」と私は持ち歩いていた絵のファイルを見せて言いました。

「ちょーどね、、今ね、壁画描いてくれる人探してたんだよねー、やってみる?
なんなら、部屋とご飯も付きで」と社長さんから返ってきました。

なんか怪しい!と思った私は「実家近いので家からきます」
と最初言ったのですが、「じゃあアトリエとして部屋自由に使っていいよ」となり、
マネージャーではなく壁画家として採用されました。

壁画家なんて初めてだったけれど、好きに描いていいよ。と言われていたので遠慮という言葉を知らなかった私は、自分の思うように、あるがままに、どんどん描きました。

社長さんの趣味で、建物全体を絵で埋め尽くすような勢いで朝から晩までずっと描いていました。

初めのうちは、泊まりにくるたくさんの外国人と友達になって遊びに行ったり、夜はみんなでご飯を作って飲んで騒いだりしていました。

その頃よく、東京ドームに何人かで野球を見に行っていました。私は野球のルールもろくにわからないので、目当てはビールでしたが、野球を眺めながらそれぞれの仕事の悩みや恋のこと、将来の夢を語り合うのは楽しい時間でした。


そうこうしているうちに、壁画の仕事はだんだん忙しくなり、私は修行僧のように絵を描くだけの生活になって行きました。

その頃、同時に外国人ゲストハウスの展開を広げていた事もあり、次から次へと新しいゲストハウスができて、壁画を一人で担当していた私は大変な渦の中に入り込んでしまいました。

私は結局3年程いました。建物は3年間で全部で12棟、武蔵境、小金井、荻窪、新宿、葛西、と住みながら描きました。

その間に、テレビに出たり、雑誌の取材が月に1度はあったり、個展も毎年開きました。

毎日追い立てられるように、走っていたので、最後は「もっと一つの課題を時間をかけて掘り下げて描いてみたい」
と思うようになりました。

私は絵を習ってなかったので、いまいち芯がないような気がしていたのです。

そうして私は外国人ゲストハウスに別れを告げて、行ってみたかった「沖縄」へ旅だったのでした。