2023/12/31 04:49
2005年春、私はイタリアにフレスコ画を描きに行く事になるのですが、何故そうなったのかをいくつかのエピソードを書いておく事にします。
そもそもの発端・・・だとしたら、それは沖縄、南西諸島の旅で壁画を描いていたある日。
大きな闘牛用の牛(車1台程はある牛)を連れたおじさんが
「この絵はどれぐらい持つの?」
と壁画を描いていた私に聞きました。
私はそんな事を考えたことなどなかったので、「10年かなぁ・・・?」
なんて答えました。
でも実際は外に描いてあるものは3年程でかなり劣化します。
私は、自分が描いた絵を何年も残したいとはまったく思っていませんでした。
描いたら描きっぱなしで良かったのがその頃の私でした。
でも「自分が描いた絵が何年持つのか?」というのは興味がありました。
何故ならギリシャの放浪画家、テオフィロスの事があったからです。
ギリシャの放浪画家、テオフィロスの事
時は2001年夏に遡ります。私は外国人ゲストハウスで壁画を描いていました。
その夏の日、向日葵のワンピースを着ていたのを覚えています。
外も、向日葵ばかりが咲いていました。
ゲストハウスの事務所のあるビルにアトリエがありました。
そこへ女性チーフが新聞の記事を持ってやって来て、
「見て見て!海ちゃんの絵かと思ったよ!」と言いました。
私もその記事を見て
「ホントだ!」
と言いました。
新聞一面に、昔ギリシャのレスボス島にいたテオフィロスという放浪画家の壁画の写真。絵のタッチ、モチーフはまるで私でした。
テオフィロス、彼は19世紀から20世紀にかけて、1杯のワインとひと切れのパンのために、ギリシャとトルコの各地を渡り歩き、民家、パン屋、肉屋などの壁に絵を描き続けた天衣無縫の放浪画家。
私はその記事を書いた朝日新聞の記者、Hさんにさっそく手紙を書きました。
後日、Hさんはテオフィロスの絵のポストカードを何枚か送って下さいました。
そのHさんとは、クリスマスカードや手紙での繋がりだけで何年か続いていました。
その後、まるで投げたブーメランが帰ってくるかのように、お互いに思いもしない場面で会う事になりますが、それはまた別の機会に書くとして・・・。
話を戻すと、
「自分が描いた絵が何年持つのか?」
何年もたった現代に、ギリシャの放浪画家の絵が、日本にいる一人の絵描きに影響を与える事ができるなんて、
なんて面白くて、素敵!
と思いました。
それから私は「壁画の原点とはなんだろ?」と考えはじめました。
それでたどり着いたのがフレスコ画との出会いでした。
フレスコ画はまず、漆喰の壁を作ります。(これは左官の仕事)
その壁が乾かないうちに水で溶いただけの顔料を使って壁に絵を描いてゆくものです。
とても単純なものですが、漆喰なので雨に強く、1000年、2000年も保存できます。
そして何より壁が呼吸しているので、それは生きている壁画なのです。
私にその事を教えてくださったのは、イタリアでフレスコ画を描いて暮らしている坂田さん夫妻でした。
沖縄、南西諸島から帰って来て
ギリシャ神話の絵を描きながら、フレスコ画を調べていた時にイタリアに住む坂田さん夫妻を知り、1年間文通しました。
そして2005年春に、「良かったらイタリアに来て、一緒にフレスコ画を描きましょう」という嬉しい言葉をいただいたのでした。