2024/01/05 12:19

「潮騒」の島、神島への旅」


三島由紀夫さんの小説「潮騒」をテーマにして旅をした時の日記があるのでほとんど当時のまま書いてみることにします。

ギリシャ神話「イーリアス」の連作を制作した後、「海」を描きたいな、と思いました。私はこもっているとなぜか海が見たくなるようなのです。

普段どんな人にでもあるように、
あー、ビール飲みたい!とか、
もー走りたい!とか、
そんな衝動をふと感じるのと同じに

「あー海を描きたい!」

という感じです。

そして偶然に本棚からすくい取った一冊が「潮騒」でした。

「潮騒」はギリシャ神話の「ダフニスとクロエ」を題材にした三島由紀夫さんの小説です。
「ダフニスとクロエ」の舞台は、ギリシャの放浪画家テオフィロスの住んでいたレスボス島だという繋がりも、物語に惹かれた要素でした。


神島への旅 2005年 

小説「潮騒」を読んで、その舞台となった三重県の神島へキャンバスと絵の具を引っ張って旅に出ました。

7月の末で、出発の日、東京は台風で大荒れでした。
「真珠のまち」として知られている鳥羽に1泊し、翌日の朝に鳥羽港から神島へと船で渡りました。鳥羽港からそう大きくもない船でで40分程です。


翌日は台風が去り、抜けるような青空でした。

三重県よりも愛知県の伊良湖岬近くに位置する神島ですが、この日は船から島がよく見えてました。

途中、小さな3つの島を通り過ぎる毎に神島が迫り、だんだんと漁港を囲む人家が見え、漁港の周りにたくさん積み重なった赤茶色の蛸壺が目につきました

本当は、私が船で迫っていっているのに島が迫ってくるように見えるのは船旅で胸が躍る情景の一つで好きです。



私は神島の漁港に降り、島の東側の方へ坂を上り漁港を見下ろすために振り返ると、
さっきまで船にいた人たちは何処かに消え、陽射しに照らされた静かな漁港が見えました。

潮騒の小説が書かれた時代の景色と幾分も変わらないのではと感じました。

島を回って見てしまう前に、ここで絵を描きたいと思いました。

坂を上がりきったそこは、少し丘のような場所で、7月の終わりの輝く真夏の太陽が、海や島や花や私をてんてんと射していました。

私はキャンバスを広げて、絵の具が乾かないうちにと、忙しく色をつけていったのが、この1枚です。



山海荘という宿に荷物をおいてスケッチブック片手に小説の舞台を巡るために神社へ向かいました。

数えながら、214段の石段を上がると八代(やつしろ)神社が現れ、
上がりきった両脇にはもちろん狛犬がいて、上がってくる私をずっと見ていました。

見ているのなら私も見ようと思い、狛犬を描き始めたけれども
真夏の平日に誰一人いないところで狛犬とにらめっこをしているのが怖くなり、「どうも、おじゃまします」と言って別れました。

そこから島の東を通って灯台、監的しょう跡、その裏に位置する海岸までの潮騒コースを歩く事にしました。

灯台までのゆるい坂道は、
右側は山の斜面に丸い石が積んであり、
左側には潮騒の聞こえる海にオレンジの百合がさいていました。

坂上の方を見上げると、白い煉瓦造りの灯台がのぞいている。
一枚の絵の中に入り込んだような景色です。

白い灯台を通り過ぎ、監的しょう跡までは、木々の中、狭くて長い藪の山道を下っていきます。

虻が飛んで耳元でブーンと絶えず聞こえていました。
こんな時私は、自然の中で虻よりも小さな存在なのだと感じます。
そうすると自然が私を受け入れてくれる気がするのです。

真っ黒な廃棄の監的しょうまで全身汗だくになって歩きました。

港とちょうど反対側に位置する監的しょうの横穴のような窓から、真っ青に広がる群青の青の海が見えます。

三島由紀夫さんが「この島に見たのはギリシャの光だった」と書いていたのを思い出しました。

監的しょう跡からさらに下るとニワの浜の海岸につきます。

ニワの浜は石灰岩が風化してできたカルスト地形で、黄土色の山の斜面から長い年月が作り上げた真っ白な鋭い岩肌が飛び出ています。

すぐ横に小中学校があり、不思議な白い天使の銅像がある広い校庭を横切ると港へと戻る道にでます。

9月にもう一度訪れたときには渡り蝶のアサギマダラや、渡り鳥のサシバも見ることができました。



泊まった宿の食事は漁港で取れた魚を煮付けて下さり、とても美味しかった。

夜に宿で一人寝ていると窓の外から遠く潮騒と、ポンポンポンという船の音が聞こえました。